記憶を継承するということ"ヒロシマの声"~

note.com

noteに書いた記事より。

NHKスペシャル「“ヒロシマの声”がきこえますか~生まれ変わった原爆資料館~」を見た。

 

被爆者の高齢化が進むことで、戦争の記憶をいかに後世に伝えるかが課題となっていく。それを受けて大規模なリニューアルを行った原爆資料館について番組で紹介されていた。

 

資料館は原爆投下直後のジオラマ被爆再現人形の展示をやめた。それについては実際のところ様々な議論があったようだ。そして、生き延びた人々が「あの日」について書いた絵を展示し、新たに外国人の被爆者についてのコーナーを設けた。原爆で亡くなったのは広島で生まれ育った人たちだけではない。従来の被爆者の原爆で亡くなった人々の遺品については、ただ並べるのではなく、遺品を提供した遺族の思いも伝えようとする工夫がされていた。

※やや脱線するが、『この世界の片隅で』(『この世界の片隅に』とは別の作品)では、沖縄の被爆者について取り上げられていた。

 

「記録」とともに「記憶」をいかにして継承していくか。それがこれからの多くの博物館(Museum)で課題となる。博物館はただ展示をするだけの場ではないからだ。博物館の主な機能は「調査・研究」「収集・保存」「展示・教育」だ。原爆資料館に入る前と入った後で、もし私たちの何かが変わったとしたら、それは「展示物による教育」が作用したということになる。原爆資料館はこれから先、単なる悲惨さ(死者の数やさ)の伝承ではなく、一人一人の尊厳ある命が奪われた悲劇の持つリアリティの継承をしていくのだろう。

 

ヒロシマの悲劇は8月6日だけではない。『この世界の片隅に』の映画版では、太平洋戦争が終わった直後に、ある人物が次のようなセリフを発する。

 

「明日も、明後日もあるんじゃけ」


被爆した人たちは、私たちと変わらない一人の人間であったし、原爆が落とされたあとも人々の人生は続いていった。それでも8月6日は流れ去らない。原爆で我が子をなくした母親は、自分が死ぬまで子のことを想っていたし、「あの日」についての絵を描いた人が、自身の強烈な体験にずっと悩み苦しんでいた。

 

原爆資料館核兵器の廃絶に貢献したか。残念ながら、核をめぐる世界の情勢は今なお厳しい。そして、「リアリズム」の世界では、戦争の「悲惨さ」を訴えることはあまり重視されない。

 

ただ、それでも。「リアリズム」ではくみ取れない、死者や残された人々の苦悩の「リアリティ」を感じることは大切なのではないか。

 

あの資料館を出た後、人々は死者への祈りを自ずとささげるのではないだろうか。

 

そして、それこそが、あの資料館の存在する意義なのではないだろうか。

 

文学者である岡真理は以下のような言葉を残している。

 アウシュヴィッツヒロシマ…。世界には、単なる地名以上の意味をもつ固有名というものがある。「ガザ」もまた、現代史に刻まれた、「人権の彼岸」を象徴する名だ。
 アウシュヴィッツ解放記念日に、八月六日に、毎年、繰り返し唱えられる、「このような悲劇は二度と繰り返さない」という誓いは、何を意味するのだろう?ガザで起きていることはホロコーストではない。核兵器が使われているわけでもない。だが、ホロコーストを、ヒロシマを可能にしたもの、すなわち他者の人間性の否定こそ、「ガザ」が意味するものだ。
 死者たちよ、安らかに眠ることなかれ。今なお繰り返され続ける過ちに無関心な、この世界を呪い続けよ。(京都新聞2008年11月27日(木)付)


死者たちへの関心がもたれなくなる時、 きっと「過ちは繰返」す。だからこそ、私たちはせめて8月だけでも、「あの日」、尊厳ある命を奪われた一人一人の死者に思いを馳せなければならない。

www6.nhk.or.jp

 

この世界の片隅で (岩波新書)

この世界の片隅で (岩波新書)

 

 

 

夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)