”生きる”という復讐があった~「アウシュビッツ 死者たちの告白」~

最近忙しくてめっきり更新できていません。過去にnoteに書いた以下の記事をこちらにも載せます。今のところ一番読まれている記事です。

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NHKスペシャルアウシュビッツ 死者たちの告白」を見た。

ゾンダーコマンドと呼ばれる、ユダヤ人でありながら虐殺に加担した人々。彼らが残したメモはぼろぼろになって読めない状態であったが、現代の科学技術によってそれらが復元され、様々なことが分かってきた。

強制収容所ナチスに加担したユダヤ人。彼らは当時何を思っていたのか。瓶に入れて地中に埋められていたメモには、彼らの「生き残る」ことへの執着、同胞の殺戮に加担する苦悩、悲しみ、助けを求める悲痛な叫びが記されていた。

自分の妻子がガス室で殺されたことをのちに知った夫。彼はそれに加担して生きていることを激しく恥じた。

ガス室ユダヤ人を送る仕事に就いたある人物。何度も一緒にガス室で死のうと思ったが、「生きる」ことがナチスへの復讐だと思い、生き延びようとしたという。彼は奇跡的にアウシュビッツが解放されるまで生き延び、その後結婚して娘を授かった。彼は死ぬまでアウシュビッツでの出来事を語らなかった。

彼は復讐できたのだろうか。できたとしたら、それは何に対して?

極度の飢えや目を覆うような悲惨を経験せず、微笑んで生きる娘を見て彼は何を思ったのだろうか。世界はそれでも美しいと思えたのだろうか。

彼は戦後、アウシュビッツについて語らなかった。そして語れなかった。ゾンダーコマンドとして生き延びた自身のそれまでの人生は、収容所からの解放で切断されたのだ。いうなれば、ゾンダーコマンドとして生きていた自分は「死者」となった。だから、語る術がないという点ではガス室に送られた人々と変わらない。この番組名は「生き延びた者の告白」ではない。「死者たちの告白」となっているのはそのためだろう。

番組ではゾンダーコマンドの視点での心理描写が続いたが、フランクルは収容所の「囚人」となった立場から『夜と霧』の中で以下のように述べている。

たとえば、収容所の囚人の一定の数を、他の収容所に送る囚人輸送があるということを、われわれが聞いたとする。すると当然のことながら、「ガスの中に入れられる」ということを推測するのである。すなわちその輸送とは病人や弱りはてた人々から、いわゆる「淘汰」が、つまり労働が不能になった囚人の選抜、が行われて、ガスかまど及び火葬場のある中央のアウシュヴィッツ大収容所で殲滅されると考えるのである。この瞬間から、あらゆる人々の、あらゆる人々に対する戦いが燃え上がるのである。各人は自らと、自分に一番近しい者とを守ろうとし、輸送に送るまいとするのである(76-77頁)

ゾンダーコマンドが一枚岩になってナチスに抵抗できなかったように、殺されたユダヤ人たちも一枚岩にはなれなかった。どちらの立場も、”生きる”ことに執着した。

いずれにせよ親衛隊員が誰を「輸送」するか、「選抜」する。そして運ばれてきた人々をゾンダーコマンドたちはひたすらに「処理」した。時にポーランドの諜報部員に情報を内密に渡し、助けがくる日を待ちながら。時に自身もガス室に入ってしまおうと思いながら。

一体どれほど時が長く感じたのだろうか…。

結局、ソ連軍がくるまで助けは来なかった。一日一日、大量の命が奪われていった。

当時の収容所について、ある証言者は、死体が燃やされて煙突から出る黒い煙のことを「魂が燃やされた」と形容していた。事態はまさにその通りであり、アウシュビッツでは人間の尊厳自体が徹底的に破壊されていた

フランクルは先ほどの引用の少し先で以下のように述べている。場面は同じく囚人の輸送について。

親衛隊員によって行われたこの積極的な選抜のほかに、なおいわば消極的な選抜があった。すなわち多年収容所で過ごし、一つの収容所から他の収容所へと、結局は1ダースもの収容所を廻ってきた囚人の中には、この生存のための苦しい闘いにおいて、良心なく、暴力、窃盗、その他不正な手段を平気で用い、それどころか同僚を売ることさえひるまなかった人々がいたのである。(78頁)

過酷な環境はそれほどまでに人の精神を追いつめるのだ。

全く幾多の幸運な偶然、あるいは――そう呼びたいならば――神の奇蹟によって、生命を全うして帰ってきたわれわれすべては、そのことを知っており、次のように安んじて言いうるのである。(78頁)
すなわち最もよき人々は帰ってこなかった。

死者たちの告白を受けて私たちはどのように生きるのか。

第二次世界大戦が終わって75年。この現代に私たちが「最もよき人々」として生きるとは、いったい何を意味するのだろう。