マイケル・サンデルの本を読んでみる(『これから「正義」の話をしよう』)

10年前ほど前、NHKハーバード白熱教室という番組が放送されていた。じっくり見ていないのであまり詳細は覚えていないが、大ホールでサンデル教授が大学生たちと討論しながら哲学について学ぶ内容だったと思う。

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哲学に関する本はいくつか読んできたものの、サンデルについては何となく池上彰的な雰囲気を感じていて(どちらにも失礼!)、彼の著作を敬遠していた。

 

しかし、いつの間にか彼の本を買っていた。気が付いたらその本は本棚にあった。

 

 経済格差が広がるなか、いま一度「正義」について考えるのはよいことだ。一週間ほどでちまちま読み進めた。

 

本の序盤ではリーマンショックウォール街の人々が取り上げられる。ウォール街への税金の大量投入と役員がもらう巨額のボーナスについて、何が公平なのか問われる。やや脱線的になるが、彼が紹介する当時の話がなかなかに強烈だ。

企業救済の倫理をめぐる最も過激な発言の一つは、アメリカ中部出身の財政保守派、チャールズ・グラズリー上院議員共和党アイオワ州出身)によるものだ。ボーナス論議が最も盛り上がっていたころ、グラスリーはアイオワ州のあるラジオのインタビューで、何よりイライラするのは経営者たちが失敗の責任を取らないことだと語った。「彼らが日本の経営者のようにアメリカ国民の前に姿を見せ、深く頭を下げて『申し訳ありませんでした』と謝り、それから二つのことの一つ――つまり辞職か自殺をすれば、少しは気が収まる」のだそうだ。(33頁)

 

本の前半でサンデルはベンサムらの功利主義を批判的に検討する。有名なトロッコ問題はその文脈で登場する。他に遭難したボートでのカニバリズムや養育権をめぐるベビーM事件など、様々な事例が取り上げられていて前半を読むだけでも十分に面白い。

 

一通り功利主義について確認した後、動機を重視するカントの哲学が取り上げられる。功利主義とカントを対比させた一節を紹介しよう。

カントは、理性の能力だけが人間の能力ではないこともあっさりと認めている。人間には快楽や苦痛を感じる能力もある。カントによれば、人間は理性的な生き物であると同時に、感性的な生き物でもある。カントのいう「感性的」とは、自分の感覚や感情に反応するという意味だ。ベンサムは正しかった。しかし半分だけだ。人間は快楽を好み、苦痛を嫌うという観察は正しかったが、快楽と苦痛が人間を支配している「主権者」だと主張したのは誤りだった。少なくともときには理性が主権者になることもあるとカントは言う。(173-174頁)

カントの道徳哲学については大学時代にある程度触れてきたので、概ねそうだなと感じながら読み進めた。

 

サンデルは功利主義→カント→ロールズの正義論へと論を進める。

彼はロールズの重要なポイントである格差原理について以下の部分を紹介している。

格差原理とは、要するに個人に分配された天賦の才を公共の資産とみなし、この分配がどんなものであれ、それが生み出す利益を分かち合おうという同意を表すものだ。天賦の才に恵まれた者は誰であれ、そのような才を持たない者の状況を改善するという条件のもとでのみ、その港運から利益を得ることができる。天賦の才に恵まれた者は、才能があるという理由だけで利益を得てはならず、訓練や教育にかかったコストをまかない、自分よりも恵まれない人びとを助けるために才能を使うかぎりにおいて、みずからの才能から利益を得ることができる。自分が才能に恵まれ、社会で有利なスタートを切ることのできる場所に生まれたのは、自分にその価値があるからだと言える人はいない。だからといって、こうした違いをなくすべきだというわけでもないやり方は別にある。こうした偶然性が、最も不遇な立場にある人びとの利益になるような形で活かせる仕組みを社会のなかにつくればよいのだ。(249頁)

個人的には、資本主義の大国であるアメリカからロールズの思想が生まれたこと自体に意義があると思う。彼の論の進め方などには様々な批判もあるのだろうが、彼の主張からは、社会を変えていきたいというエネルギーを感じる。今こそ読まれるべき思想だと思う(『正義論』を早く読まないと…文庫化してくれ)。

 

ロールズの正義論を一通り眺めた後、サンデルはアリストテレスについて取り上げる。カントの道徳哲学やロールズの正義論はどのような価値が望ましいのかといった問いには中立的であることを指摘し、ポリスなどのコミュニティと善の関係を探究したアリストテレスに立ち戻る意義をサンデルは論じる。

 

時にコミュニタリアニズムとも呼ばれる(サンデル自身は否定するが)彼の思想では、共同体や連帯といったキーワードが重要となってくる。功利主義批判に続き、自由に基づく理論(リバタリアニズムに加え、ロールズ的な平等主義者など)にも彼は批判的だ。

  自由に基づくそうした理論によれば、われわれの追求する目的の道徳的価値も、われわれが送る生活の意味や意義も、われわれが共有する共通の生の質や特性も、すべては正義の領域を越えたところにあるのだ。

 私には、これは間違っていると思える。正義にかなう社会は、ただ効用を最大化したり選択の自由を保証したりするだけでは、達成できない。せいぎにかなう社会を達成するためには、善き生の意味をわれわれがともに考え、避けられない不一致を入れられる公共の文化をつくりださなくてはいけない。(407頁)

 本全体を通して徐々に抽象性があがるため、序盤の感触よりも思ったより読み進めるのに時間がかかってしまった。だが、ロールズの正義論に加え、アリストテレスを現代の社会を考察するヒントにするのは面白い。前半部分にはトロッコ問題など豊富な事例が扱われているので、まずはその部分だけでも読んで、興味があれば後半も読んでみてほしい。