大乗仏教と平等という概念について
奈良時代の仏教は鎮護国家を目標としていたが、やがて政治と深い関係を持つようになった。その結果、桓武天皇は平城京を捨て都を移している。
最澄は唐に渡って学んだあと、日本で大乗仏教の戒壇の設立に尽力した。
最澄が日本に広めた天台宗の考え方によると、どんな者でも成仏することができる。法相宗の徳一はこれに反対して以下のような立場に立った。
「法相宗は……有情の悟りの可能性に先天的な『差別』を認める。衆生が悟れるか否かは、本性の違いで先天的に決定されており、声聞、縁覚、菩薩、そして声聞にも大乗にも至れるもの、まったく仏になる可能性のないものという差別があるとする」(83頁)
今風にいうのであれば、身の丈に合った救済の可能性があるといったところだろうか。それとも、現代では「遺伝的」という言葉に置き換えられただけなのだろうか。
法相宗の反論に対して最澄はどう考えたのか。先にも書いたように、彼は衆生がみな仏となりうる、本来衆生は仏であるというのが釈迦の教えであると述べた。悟りへの道は平等であるというわけだ。
日本に近代的な人権思想、当時の天賦人権論を紹介したのは福沢諭吉とされている。人権という概念は身分に関係なく、平等に適用されるというのは当時の社会にとって斬新だったのだろう。
だが、福沢諭吉が生まれるよりもはるか前に、平等性という考え方は日本にももたらされていた。
確かに、その後の日本は封建社会となり、身分制度が根付いていった。現代と比べると不平等な社会だったのだろう。
しかし、それは日本では近代的な人権思想や平等といった概念が根付かないことの説明にはならない。古代の日本においても基本的人権につながり得る思想がもたらされていたからだ。平等という概念が持つ普遍性を改めて確認しておきたい。
清水正之『日本思想全史』(筑摩書房、2014年)、76‐84頁