有罪率99パーセント強の問題点

日本の刑事裁判の有罪率は99パーセント強と言われている。

 

検察が有罪だと判断した被疑者が実際に裁判で有罪判決とされているのだから、冤罪もほとんどなく、言うことなしなのだろうか。実際にはそんな単純な話ではない。

 

「疑わしきは被告人の利益に」という言葉がある。

これは、刑事裁判においては検察官に立証責任があり、その立証に合理的な疑いが残る場合は無罪となるという刑事裁判の原則について述べたものである。冤罪を生み出さないことは、国民の人権を保障する点で何より重要だ。そのため、日本国憲法の第31条から第40条において、刑事訴訟の適正手続きや被告人の権利などが保証されている。

 

検察官に立証責任がある以上、負ける裁判を自ら起こすわけにはいかない。だからこそ、検察官は証拠固めを十分にして、確実に有罪判決を得られると判断した事件だけを起訴し、裁判で勝てないと判断した場合は不起訴とするのだ。

 

刑事裁判の有罪率が99パーセント強と、これほどにまで高いのはこのためだ。

 

しかし、本来有罪か無罪かを判断するのは裁判所である。現状では、裁判官は検察官の判断を追認するだけになってしまう恐れがある。

 

冤罪を防ぎ、国民の人権を保障することを第一に考えると、検察に過度に裁判で負けることを恐れるなと言うのは難しい。検察が丁寧に真相究明を行うことで不起訴処分となり、救われる人もいるからだ。

 

ただ、現状のままでは裁判所の意義が不明瞭になっているということについては、今後考えていきたい。裁判員制度がひとつの手がかりとなるかもしれない。

 

 

石川 明・永井博史・皆川治廣 編『プライマリー法学憲法〔第2版〕』(不磨書房、2010年)、154、162頁 

プライマリー法学憲法〔第2版〕

プライマリー法学憲法〔第2版〕

 

 

 

北一輝

 北一輝(1883-1937)という人物について、どのような印象を持つだろうか。

 

彼の著作『日本改造法案大綱』は二・二六事件の際に青年将校たちにバイブル視された。そのことが理由となり、銃殺刑を受けることとなった。

 

二・二六事件は陸軍の皇道派が起こした出来事である。そのため、北一輝はさぞかし保守的な人物なのかと思いきや、実態は異なるようだ。

 

まず、彼は銃殺にあたり、ほかの処刑者とは異なり「天皇陛下万歳」を断っている。

この事実をどのように理解すればよいのだろうか。手がかりは、彼の若い時の活動にある。

 

彼は二十歳前後のころに、社会主義の影響を感じさせる次のような主張をしていた。

 

・誰でも天皇に「拝謁」できること

華族制度の廃止、士族・平民の呼称の撤廃

・財産制限をやめ普通選挙制度を樹立

労働組合を組織し、資本家利益を壟断

 

格差を一気に解消し、天皇のもとでの万民平等を実現する国家構想を北は若いころから温めていた。そして、それを実現するために選んだ方法が、軍によるクーデタだったわけだ。

 

当時の日本は治安維持法などによって社会主義者の活動を弾圧している。

 

しかし、軍の統制派が資本主義や自由競争とは異なる国家構想をしただけでなく、皇道派の理論的主導者ともされた人物でさえ、社会主義の影響を受けていた。

 

この事実は、当時(今も?)の資本主義社会の抱える問題がいかに深刻であったのかを示しているように思う。

 

鹿野政直『近代国家を構想した思想家たち』(2005年、岩波書店)、158-163頁

 

近代国家を構想した思想家たち (岩波ジュニア新書)

近代国家を構想した思想家たち (岩波ジュニア新書)

 

 

美濃部達吉

「公然自由主義の撲滅を叫んで怪しまざるが如き、実に憲政破壊の風潮の著しき現れと存じ、小生微力にしてもとよりこの風潮に対抗して、これを逆襲するだけの力あるものにこれなく候えども、憲法の研究を一生の仕事と致す一人として、空しくこの風潮に屈服し、退いて一身の安きをむさぼりてはその本分に反するものと確信致しおり候」

美濃部達吉

 

美濃部達吉天皇機関説を唱え、大正デモクラシーを理論的に支えたことで知られている。それは、ジョン・ロックが『統治二論』で名誉革命を理論的に正当化したこととも似ているように思う。

 

美濃部が生きた時代(1873-1948)は苦難に満ちていた。昭和になり、軍国主義が台頭してくると、天皇機関説は軍部から厳しく批判されるようになる。政府は一時、天皇機関説を採用していたが、批判が強まると声明を出して否定する。美濃部は著作を発禁処分にされた上に不敬罪で告訴され、貴族議員の辞職を余儀なくされた。それに加えて、暴漢に襲われ負傷している。

 

そのような事件のさなか、美濃部は上のような文章を手紙で書いている。学問をすることが文字通り命がけであった状況においてもなお、彼は憲法の研究に取り組み続けた。

 

私たちは彼から何を学べるのか。彼は、単なる「天皇機関説を主張した人物」ではない。彼が時代に翻弄されつつも、社会と格闘してきたその生き様にこそ、私たちは改めて目を向ける必要がある。

 

鹿野政直『近代国家を構想した思想家たち』(岩波書店、2005年)、82‐87頁

 

 

近代国家を構想した思想家たち (岩波ジュニア新書)

近代国家を構想した思想家たち (岩波ジュニア新書)