美濃部達吉

「公然自由主義の撲滅を叫んで怪しまざるが如き、実に憲政破壊の風潮の著しき現れと存じ、小生微力にしてもとよりこの風潮に対抗して、これを逆襲するだけの力あるものにこれなく候えども、憲法の研究を一生の仕事と致す一人として、空しくこの風潮に屈服し、退いて一身の安きをむさぼりてはその本分に反するものと確信致しおり候」

美濃部達吉

 

美濃部達吉天皇機関説を唱え、大正デモクラシーを理論的に支えたことで知られている。それは、ジョン・ロックが『統治二論』で名誉革命を理論的に正当化したこととも似ているように思う。

 

美濃部が生きた時代(1873-1948)は苦難に満ちていた。昭和になり、軍国主義が台頭してくると、天皇機関説は軍部から厳しく批判されるようになる。政府は一時、天皇機関説を採用していたが、批判が強まると声明を出して否定する。美濃部は著作を発禁処分にされた上に不敬罪で告訴され、貴族議員の辞職を余儀なくされた。それに加えて、暴漢に襲われ負傷している。

 

そのような事件のさなか、美濃部は上のような文章を手紙で書いている。学問をすることが文字通り命がけであった状況においてもなお、彼は憲法の研究に取り組み続けた。

 

私たちは彼から何を学べるのか。彼は、単なる「天皇機関説を主張した人物」ではない。彼が時代に翻弄されつつも、社会と格闘してきたその生き様にこそ、私たちは改めて目を向ける必要がある。

 

鹿野政直『近代国家を構想した思想家たち』(岩波書店、2005年)、82‐87頁

 

 

近代国家を構想した思想家たち (岩波ジュニア新書)

近代国家を構想した思想家たち (岩波ジュニア新書)