北一輝
北一輝(1883-1937)という人物について、どのような印象を持つだろうか。
彼の著作『日本改造法案大綱』は二・二六事件の際に青年将校たちにバイブル視された。そのことが理由となり、銃殺刑を受けることとなった。
二・二六事件は陸軍の皇道派が起こした出来事である。そのため、北一輝はさぞかし保守的な人物なのかと思いきや、実態は異なるようだ。
まず、彼は銃殺にあたり、ほかの処刑者とは異なり「天皇陛下万歳」を断っている。
この事実をどのように理解すればよいのだろうか。手がかりは、彼の若い時の活動にある。
彼は二十歳前後のころに、社会主義の影響を感じさせる次のような主張をしていた。
・誰でも天皇に「拝謁」できること
・華族制度の廃止、士族・平民の呼称の撤廃
・財産制限をやめ普通選挙制度を樹立
・労働組合を組織し、資本家利益を壟断
格差を一気に解消し、天皇のもとでの万民平等を実現する国家構想を北は若いころから温めていた。そして、それを実現するために選んだ方法が、軍によるクーデタだったわけだ。
当時の日本は治安維持法などによって社会主義者の活動を弾圧している。
しかし、軍の統制派が資本主義や自由競争とは異なる国家構想をしただけでなく、皇道派の理論的主導者ともされた人物でさえ、社会主義の影響を受けていた。
この事実は、当時(今も?)の資本主義社会の抱える問題がいかに深刻であったのかを示しているように思う。
鹿野政直『近代国家を構想した思想家たち』(2005年、岩波書店)、158-163頁